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Makefile yet as John needs to figure out ${LANG}-based doc building. Please put this in 2.2, or the translators are going to kill me. ;) Submitted by: doc-jp@jp.freebsd.org (The FreeBSD Japanese Doc Team) Reviewed by: doc-jp@jp.freebsd.org (mutual review)
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<!-- $Id$ -->
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<!-- The FreeBSD Japanese Documentation Project -->
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<!-- 和訳: masaki@po.iijnet.or.jp + hino@nwk.cl.nec.co.jp 1996/09/24 -->
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<!-- Original revision: 1.16 -->
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<sect><heading>FreeBSD 小史<label id="history"></heading>
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<p><em>原作: &a.jkh;</em>.
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<p><em>訳: &a.masaki;, &a.hino;.<newline>24 September 1996.</em>
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FreeBSD プロジェクトは 1993年の始めに ``Unofficial 386BSD Patchkit''
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の最後の 3人のまとめ役によって, 部分的に patchkit から派生する形で開始
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されました. ここでの 3人のまとめ役というのは, Nate Williams と, Rod
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Grimes と, 私 (Jordan K. Hubbard) です. David Greenman と Julian
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Elischer は当時裏方としては参加していましたが, 全面的に参加したのは,
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プロジェクトがもう少し公式に開始され, さらに 1, 2ヶ月後になってからで
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した. 私たちのもともとの目標は, patchkit という仕組みではもう十分に解
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決できなくなってしまった 386BSD の数多くの問題を修正するための, 386BSD
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の暫定的なスナップショットを作成することでした. こういった経緯を経てい
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るので, このプロジェクトの初期の頃の名前が ``386BSD 0.5'' や ``386BSD
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暫定版 (Interim)'' であったということを覚えている人もいるでしょう.
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386BSD は, Bill Jolitz が (訳注: バークレイ Net/2 テープを基に) 作成し
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たオペレーティングシステムです. 当時の 386BSD は, ほぼ一年にわたって放っ
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ておかれていた (訳注: 作者がバグの報告を受けても何もしなかった) という
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ひどい状況に苦しんでいました. 作者の代わりに問題を修正し続けていた
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patchkit は日を追うごとに不快なまでに膨張してしまっていました. このよ
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うな状況に対して, このままではいけない, 何か行動を起こさなければ, とい
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うことで異議を唱えるものは私たちのなかにはいませんでした. そして私たち
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は挑戦することを決断し, 暫定的な「クリーンアップ」スナップショットを作
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成することで Bill を手助けしようと決めたのです. しかし, この計画は唐突
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に終了してしまいました. Bill Jolitz が, このプロジェクトに対する受け
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入れ支持を取り下げることを突然決意し, なおかつこのプロジェクトの代わり
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に何をするのかを一切言明しなかったのです.
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たとえ Bill が支持してくれないとしても, われわれの目標には依然としてや
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る価値があると決心するのにさしたる時間はかかりませんでした. そこで
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David Greenman が考案した名称 ``FreeBSD'' を私たちのプロジェクトの名前
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に採用し, 新たなスタートを切りました. この時点でのプロジェクトの初期目
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標は, すでにこのシステム (訳注: 386BSD + Patchkit) を使っていた利用者
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たちと相談して決められました. プロジェクトが実現に向けて軌道に乗ってき
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たことが明確になった時点で, 私は Walnut Creek CDROM 社に連絡してみまし
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た. CDROM を使って FreeBSD を配布することによって, インターネットに容
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易に接続できない多くの人々が FreeBSD を簡単に入手できるようになると考
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えたからです. Walnut Creek CDROM 社は FreeBSD を CD で配布するというア
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イデアを採用してくれたばかりか, 作業するためのマシンと高速なインターネッ
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ト回線を私たちのプロジェクトに提供してくれました. 当時は海のものとも山
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のものともわからなかった私たちのプロジェクトに対して, Walnut Creek
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CDROM 社が信じられないほどの信頼を寄せてくれたおかげで, FreeBSD は短期
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間のうちにここまで大きく成長したのです.
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CDROM による最初の配布 (そしてネットでの, ベータ版ではない最初の一般向
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け配布) は FreeBSD 1.0 で, 1993年 12月に公開されました. これは カリフォ
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ルニア大学バークレイ校の 4.3BSD-Lite (``Net/2'') を基とし, 386BSD や
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Free Software Foundation からも多くの部分を取り入れたものです. これは
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初めて公開したものとしては十分に成功しました. 続けて 1994年 5月に
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FreeBSD 1.1 を公開し, 非常に大きな成功を収めました.
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この時期, あまり予想していなかった嵐が遠くから接近してきていました. バー
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クレイ Net/2 テープの法的な位置づけについて, Novell 社と カリフォルニ
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ア大学バークレイ校との間の長期にわたる法廷論争において和解が成立したの
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です. 和解の内容は, Net/2 のかなりの部分が「権利つき (encumbered)」コー
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ドであり, それは Novell 社の所有物である, というバークレイ校側が譲歩し
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たものでした. なお, Novell 社はこれらの権利を裁判が始まる少し前に
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AT&T 社から買収していました. 和解における譲歩の見返りにバークレイ
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校が得たのは, 4.4BSD-Lite が最終的に発表された時点で, 4.4BSD-Lite は権
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利つきではないと公式に宣言されること, そしてすべての既存の Net/2 の利
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用者が 4.4BSD-Lite の利用へと移行することが強く奨励されること, という
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Novell 社からの「ありがたき天からの恵み」でした. (訳注: 4.4BSD-Lite は
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その後 Novell 社のチェックを受けてから公開された.) 私たちも Net/2 を利
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用していましたから, 1994年の 7月の終わりまでに私たちが持っている Net/2
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ベースの製品の出荷を停止するように言われました. ただし, このときの合意
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によって, 私たちは締め切りまでに一回だけ最後の公開をすることを許されま
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した. これが FreeBSD 1.1.5.1 で, Net/2 を対象に私たちが一年以上にわたっ
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て努力してきた作業を反映した最高傑作となりました. そしてその完成度は,
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さまざまなプロジェクトにおける安定性と全般的な性能に関して, 到達段階の
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重要な目安の一つであると, 多くの人々から広く認められてるほどです. (訳
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注: あるプロジェクトが FreeBSD 1.1.5.1 と同程度に安定して速ければ, そ
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のプロジェクトが一定のレベルに到達したということ.)
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それから私たちは, まっさらでかなり不完全な 4.4BSD-Lite と共に FreeBSD
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を文字どおり再度作り直すという, 難しくて大変な作業の準備を始めまし
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た. ``Lite'' バージョンは, 部分的には本当に軽くて, 中身がなかったので
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す. 起動し, 動作できるシステムを実際に作り上げるために必要となるプログ
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ラムコードのかなりの部分がバークレイ校 の CSRG (訳注: BSDを作っている
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グループ) によって (いろいろな法的要求のせいで) 削除されてしまっていた
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ということと, 4.4BSD の Intel アーキテクチャ対応が元々かなり不完全であっ
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たということがその理由です. この移行作業は結局 1994年の 12月までかかり
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ました. そして 1995年の 1月に FreeBSD 2.0 をネットと CDROM を通じて公
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開しました. これは, かなり粗削りなところが残っていたにもかかわらず, か
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なりの成功を収めました. そしてその後に, より信頼性が高く, そしてインス
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トールが簡単になった FreeBSD 2.0.5 が 1995年の 6月に公開されました.
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<em>これからのことについて</em>
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私たちは 1995年の 11月 19日に FreeBSD 2.1.0 を公開し, それを多くの
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人たちが喜んで受け入れてくれました. それからも私たちは 2.1-STABLE とい
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う FreeBSD の開発分流 (本当は 2.0.5 から分岐して始まったのですが) の作
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業を続け, 1996年の第一四半期までに少なくとも一回の公開を予定していま
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す. FreeBSD 2.1.1 です. (訳注: 結局 2.1.1 は公開されず, 2.1.5 が 1996
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年 8 月に公開された.)
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2.1.2 が 2.1.1 に続いて公開される可能性もありますが, これは FreeBSD
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2.2 の 1996 年第二四半期における進捗状況次第です. 2.2 は私たちの新規開
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発専用の開発分流であり, そこでは NFS v3 から PCCARD のサポートまでのす
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べての長期的なプロジェクトが現在進行しているところです. 現在の開発予定
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スケジュールでは, 1996 年の第一四半期から 2.2 における開発速度を緩め始
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めるとともに, 予備的な公開の練習 (何回かの 2.2 SNAPshot の公開) を開始
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することになっています. 2.2 の具合をよりよくするために, 2.2 への移行は
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少し間を空けて 1996 年第二四半期の初頭に始まり, そして次世代の開発をお
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こなうための 2.3 開発分流が開始されるでしょう. 2.2 の公開がおこなわれる
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(1996 年の第二四半期の終わりを予定) 頃には, 2.1.x 分流の開発は終了する
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でしょう. (訳注: 2.1.5 のリリースノートには, 重大な欠陥が発見されない
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かぎり今後 2.1.x が公開されることはない, と書かれています.)
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私たちは, 現時点であまり充実していない残りの分野, 例えばドキュメント化
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や足りないドライバに関しても注力していくつもりです. またシステムの全体
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的な品質の向上と機能の向上を 1996年, そしてその後も着実に続けていく予
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定です.
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最後に皆さんによく知っておいてもらいたいことがあります. FreeBSD は, 閉
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鎖的なグループに所属する人たちだけで開発しているのでは<em>ない</em>と
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いうことです. ときどき反対方向に誤解してしまう人がいて困るのですが, プ
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ログラムコードやアイデアをプロジェクトに対して自由に提案し, そして寄
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贈してもらうのはいつでも大歓迎です. いろいろと手伝ってくれる人が, その
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作業を続けた結果として多くの人から十分信頼を得る頃には, 特別な事情が
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ない限りはその人に, 関係しているプロジェクトの CVS リポジトリに対する
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書き込み権限をさし上げています. このような新規メンバの追加は実際におこなわ
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れています. CVS リポジトリに対して変更をおこなうと, その変更点を他の
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FreeBSD のユーザに対して自動的に伝播させることが可能です. (訳注: 開発
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をするようにユーザが設定をした場合のみです. 一般のユーザの FreeBSD が
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勝手に書き換わるわけではありません.) 私たちの集中的開発モデルは,
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FreeBSD の<em>ユーザの便利さのために</em>設計されているのです. このモ
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デルのおかげで, ユーザは一つの集中管理されたプログラムコードのみに注目
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して作業に取り組むことが, 簡単にできるようになっています. このモデルは,
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(訳注: 集中管理されているからといって) これから手伝ってくれるかもしれ
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ない人たちを排除するためのものでは絶対にありません! 私たちのプロジェク
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トに対し, 継続的で, かつ多大な貢献をおこなってくれた人には, FreeBSD のコア
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チームに参加し, プロジェクトの全体的な方向性や目標を一緒に検討してもら
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えないかと問い合わせることさえ頻繁におこなわれています. つまり私たちのプ
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ロジェクトにおいて, 新たなメンバに対して門を閉ざしている部門というのは
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まったく存在していないのです. このプロジェクトに対してより深く関わりあ
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いたいと希望する人に対して, 私たちが要求するたった一つの事柄は, 現在の
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メンバたちが今までにやってきたのと同様に, このプロジェクトがずっと成功
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し続けるように, このプロジェクトへ専念してもらうことだけなのです!
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(訳注: 以下は最新の history.sgml 1.16 1996/09/09 において変更された
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「これからのことについて」の章です)
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私たちは 1996年の 8月に FreeBSD 2.1.5 を公開しました. この出来が非常に
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良かったので, 私たちの考えでは (訳注: より完成度を高めるために)
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2.1-STABLE 開発分流からの最後の公開として 2.1.6 を出すことにメリットが
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あると思っています. 2.1.6 の公開は11月頃になる予定です.
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2.2 は私たちの新規開発専用の開発分流であり, そこでは NFS v3 から
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PCCARD のサポートまでのすべての長期的なプロジェクトが現在進行している
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ところです. 1997年の 1月に予定されている, 2.2 のコード凍結作業 (訳注:
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新しい機能を追加するのをやめ, バグフィックスのみを行なう作業) を開始す
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る直前までに, 2.2 のスナップショットをいくつか公開する予定です.
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私たちは, 現時点であまり充実していない残りの分野, 例えばドキュメント化
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や足りないドライバに関しても注力していくつもりです. またシステムの全体
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的な品質の向上と機能の向上を 1997年, そしてその後も着実に続けていく予
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定です.
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